~サンシャインシティ開業から45周年~「誇りや愛着を抱く“まち”を創る“共創ディベロッパー”」を新たなビジョンに

株式会社サンシャインシティのプレスリリース

サンシャインシティグループは、大型複合施設サンシャインシティが開業45周年を迎える2023年4月から、大型複合施設の運営で培ってきた経験などを活かし「誇りや愛着を抱く“まち”を創る“共創ディベロッパー”」を新たなビジョンに据え、サンシャインシティの運営のみならず、豊島区、特に池袋エリアにおいて魅力あふれるまちづくりに一層邁進してまいります。
※本リリースPDFはこちらよりダウンロードいただけます→https://prtimes.jp/a/?f=d20364-20230228-e0ad9870775edcc6871def7ca37a7c55.pdf

 今から約45年前の1978年4月6日に当時東洋一高い超高層ビル「サンシャイン60」の60階に「サンシャイン60展望台」がオープンし、同年10月5日には国内屈指の大型複合施設「サンシャインシティ」が全面開業しました。
豊島区は2022年に区制施行90周年を迎え、サンシャインシティはその約半分の期間を豊島区と共に歩んできました。開業20周年の1998年から“なんか面白いこと、ある。”をキャッチコピーに様々な取り組みを行ってきたことにより、サンシャインシティには地域の方を含め、年間約3,000万人以上の方にお越しいただいておりました。
そして、2020年4月よりサンシャインシティグループは、「なんか面白いこと、その想像力を街の力に」をスローガンに「独自のディベロップメント力を活かし、地域と社会に“なんか面白いこと”を提供すること」をミッションに掲げ、まちづくりに取り組んでいます。
 開業45周年を迎える2023年4月からは、大型複合施設サンシャインシティの運営で培ってきた経験などを活かし「誇りや愛着を抱く“まち”を創る“共創ディベロッパー”」をサンシャインシティグループの新たなビジョンに据え、サンシャインシティの運営のみならず、豊島区、特に池袋エリアにおいて魅力あふれるまちづくりに一層邁進してまいります。

1978年サンシャイン60ビルの開業を告知するポスター1978年サンシャイン60ビルの開業を告知するポスター

近年のサンシャインシティ近年のサンシャインシティ

 

  • 2023年トピックス

●3月1日(水)OPEN●
池袋駅東口駅前のビルを減築・リノベーションし、池袋の“新たなまちのコミュニティ拠点”としてPAPILLON BLDG.(パピヨンビル)を開業。PUBやイベントスペースが複合した施設「P-144」を運営

 当社はこれまでも様々な企業や団体、自治体と連携し、池袋のまちの魅力を高める活動をしてまいりました。今後この活動の場を更に広げ、“新たなまちのコミュニティ拠点”として「PAPILLON BLDG.」を開業します。
 今回運営パートナーに数多くの店舗企画運営やコミュニティづくりを行うgood mornings株式会社を迎え、ビルの全フロアを用いてPUBやイベントスペースが複合した施設「P-144(ピーイチヨンヨン)」を共同運営いたします。
 P-144は、食、アート、エンタメ、ビジネスなど、サステナブルで多種多様なテーマのもと、あらゆるパートナーとの共創プロジェクトを通して、多様な人たちが集い交流し、新たなカルチャーを生み、育む、新しい形の“大人の社交場”を目指します。
 P-144のPUBでは、豊島区内や各地の醸造所とコラボしたオリジナルクラフトビールや、アジア・エスニック、薬膳などのフードメニューなどをご提供予定です。また、3階にあるイベントスペース「ガーデン」では、企業やアーティスト、豊島区や全国の自治体など、様々な方々とコラボレーションし、トークショーやギャラリー、ポップアップストアなどの実施を通じ、新たなまちの交流・共創の場を創り発信していきます。

 

PAPILLON BLDG.(パピヨンビル)PAPILLON BLDG.(パピヨンビル)

 

 

 

クラフトビール(イメージ)クラフトビール(イメージ)

 

 

P-144の地図P-144の地図

■詳しくは、こちらよりニュースリリースをご確認ください。
https://prtimes.jp/main/action.php?run=html&page=releasedetail&company_id=20364&release_id=738&owner=1

●4月18日(火)OPEN●
“365日、公園びより。”をテーマに新たな眺望体験を提供する空の公園「サンシャイン60展望台 てんぼうパーク」

てんぼうパークは、サンシャイン60ビルの60階に位置し、海抜251mの高さから東西南北360度の東京パノラマをご覧いただけます。晴れた日には遥か向こうに筑波山や富士山、夕暮れ時にはマジックアワーに染まる街並み、夜は都会のビル群のきらめく夜景を望むことができ、展望台からの眺望を思い思いの過ごし方でお楽しみいただけます。
館内は、植栽や人工芝を取り入れ、空と緑に囲まれた開放的な空間が広がる一方、多様な催事を開催するイベントスペースでは「なんか面白いこと」をその時々に合わせて提供してまいります。
また、本施設は乳幼児にも優しい施設を目指しており、ハイハイスペースやベビールーム(授乳室)なども完備します。

【てんぼうの丘】眺望を思い思いに楽しめるエリア「てんぼうの丘」では、季節を取り入れた植栽や人工芝に囲まれた空間で、視界いっぱいに広がる眺望を楽しめます。自然を感じるBGM、爽やかでフレッシュな香りのアロマで心地良く開放的な展望空間を彩ります。【てんぼうの丘】眺望を思い思いに楽しめるエリア「てんぼうの丘」では、季節を取り入れた植栽や人工芝に囲まれた空間で、視界いっぱいに広がる眺望を楽しめます。自然を感じるBGM、爽やかでフレッシュな香りのアロマで心地良く開放的な展望空間を彩ります。

【てんぼうの丘】赤ちゃんと安心して遊ぶことができるハイハイスペースの他、ネットリングなど、様々な世代の方が自由に過ごすことができる仕掛けが盛りだくさん。【てんぼうの丘】赤ちゃんと安心して遊ぶことができるハイハイスペースの他、ネットリングなど、様々な世代の方が自由に過ごすことができる仕掛けが盛りだくさん。

 

【イベントスペース】国際アート・カルチャー都市構想を 掲げる豊島区・池袋で、キャラクターイベントやアート 展示など幅広いイベントを開催します。【イベントスペース】国際アート・カルチャー都市構想を 掲げる豊島区・池袋で、キャラクターイベントやアート 展示など幅広いイベントを開催します。

■詳しくは、こちらよりニュースリリースをご確認ください。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000732.000020364.html

 

●2022年11月18日(金)池袋エリアプラットフォーム設立
企業・団体・学校・行政機関含む約70社・団体が参加。本プラットフォームの理事長・事務局として地域と共に当社はまちづくりを推進してまいります。

主に池袋エリアの企業・団体・学校・行政機関など産官学が一体となり、池袋のまちの価値や魅力を更に向上させ“多様な人々を惹きつけるまち” “居心地良く歩きたくなるウォーカブルなまち”を目指す「池袋エリアプラットフォーム」が2022年11月18日(金)に設立しました。本プラットフォームにおいて当社は事務局を担い、また理事長を拝命しております。エリアで活動する皆様と共に、一丸となってまちづくりを進め、より一層“多様な人々を惹きつけるまち”として、魅力や価値の維持・向上を目指してまいります。2023年度は池袋のまちの共通指針となる未来ビジョン策定を行います。
■詳しくは、こちらよりニュースリリースをご確認ください。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000717.000020364.html

 

 

  • ご参考 1978年「サンシャインシティ」開業まで

●池袋副都心再開発事業・大規模民間活力プロジェクト
サンシャインシティの街区開発は「池袋副都心再開発事業」と呼ばれています。1958年、政府が東京拘置所を移転させることを閣議了解。跡地を再開発して副都心機能の一部を持たせることとなりましたが、しばらく具体的な進展はありませんでした。その後、財界をあげて拘置所の移転と跡地の民間払い下げ、事業を推進する態勢を整え、1963年政府からの「青少年施設建設」の要請に応えて東京拘置所跡地利用の受け皿となる民間会社として「(株)日本児童センター(*)」発起人会が開催。1966年に都市計画決定と民間への払い下げが決定され、(株)サンシャインシティの前身となる「(株)新都市開発センター」として設立に至りました。

●東京拘置所の移転と跡地開発
1971年、跡地が正式に(株)新都市開発センターの所有となり、オフィス、ホテル、デパート、アミューズメント、教育・文化施設、住宅など具体的な建設計画が立案されました。そこで、「日本一をつくらなかったらインパクトがない!」という意見から、当時“日本一”を超える“東洋一”である60階建てのオフィスビルの建設をすることとなりました。1973年に着工しましたが第一次オイルショックによる政府からの建築投資抑制措置への協力要請などもあり、1974年10月から工事の中断を余儀なくされました。その後、1975年7月に工事を再開し、着工から5年後の1978年にホテル棟を除き各建物が竣工、サンシャインシティのグランドオープンを迎えることができました。
会社設立時に1973年度までの8年間で総事業費508億円と見込んでいましたが、オイルショックによるインフレ(建設資材の大幅な値上がり等)などの影響により実際には総事業費は1,900億円と当初の見込み額の約3.7倍に膨らみました。
 

1973年12月 構築物が取り壊され、 整地工事がなされた東京拘置所跡地1973年12月 構築物が取り壊され、 整地工事がなされた東京拘置所跡地

1977年 建設途中のサンシャインシティ1977年 建設途中のサンシャインシティ

※日本児童センターの構想について
当時の急激な経済成長や高校進学率の上昇等に伴う人材不足から派生し、児童教育や人づくりが政官界や産業界の一大関心事となっていた時代背景があります。その中で、当時西武百貨店の社長であった堤清二氏を中心とした地元商店会の集まりがまとめた意向と設立メンバーの一人でソニー創業者の一人である井深大氏の青少年教育に対する想いが「児童センター」の発想の原点であったといえます。水族館やプラネタリウム(※)、博物館、体育館(※)などはその構想を汲み取った施設であるとも言えます。  ※現在はテナント施設

●サンシャインシティの名付け親は一般の方!?
オープン前年の1977年、地元の皆さまに名付け親になってほしいという想いから、60階建てのオフィスビルおよび街区全体の名称をそれぞれ公募しました。
▶サンシャイン60
約7万通の応募の中から、「明るく新鮮」「日本のシンボルにふさわしい」などの基準から『サンシャイン60』が選定されました。
▶サンシャイン・シティ
「サンシャイン60」に次いで街全体の愛称を募集。約1万3千通の応募の中から、「サンシャイン・シティ」が選定されました。
※現在は『サンシャインシティ』

●当時ココがすごかった!
①国内最大級の大型複合施設!
▶オフィス、ショッピング、文化施設など様々な施設を有する複合施設としては 当時も現在も国内最大級の規模を誇っています。
②東洋一の高さのビル、世界一の速さのエレベーター、日本初・ビルの屋上にある水族館など最先端技術が盛りだくさん!
▶海辺に建物を作り、海水を利用する水族館が主流だった当時、海から離れた池袋、さらに高層ビルの屋上にある水族館は画期的な施設。
③国際色豊か!
▶当時の製品輸入促進の国策に沿って輸入品を取り扱う施設やUSトレードセンター、パスポートセンターなど国際色豊かな「ワールドインポートマートビル」。
④当時から環境に配慮!単独ビル用として日本初の中水道システムの導入
▶トイレの手洗いや、ビル内で発生した厨房排水などの排水を浄化し、再生された「中水(ちゅうすい)」を ビル内のトイレの洗浄水に使用。当時から水道水の使用量削減に取り組んでいます。

1978年4月6日に 超高層ビル「サンシャイン60」60階に「サンシャイン60展望台」がオープンしました。当時東洋一高いビルからの絶景を求めて連休には1日2万人以上の来場者がありました。

※1978年10月5日 大型複合施設「サンシャインシティ」全面開業しました。オープン初日30万人、初めての休日には40万人の来街者がありました。
 

1978年展望台へ向かうエレベーターに続く長蛇の列1978年展望台へ向かうエレベーターに続く長蛇の列

※画像はイメージです。

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