一般財団法人 公園財団のプレスリリース
国営飛鳥歴史公園キトラ古墳四神の館では11月12日(火)~12月15日(日)まで万葉衣装展~よみがえる飛鳥~を開催中です。
万葉衣装服飾家の山口千代子氏協力のもと、飛鳥時代の大きな変革点『乙巳の変前の中大兄皇子と
中臣鎌足』『白村江の戦い以前の斉明天皇』『壬申の乱後の天武・持統天皇』をジオラマ風にし展示
しております。なお、令和6年は高松塚古墳壁画が昭和49年4月17日に国宝指定されてから50
年の節目にもあたるため壁画の女子群像と男子群像も再現いたしました。
また、飛鳥時代は中国や朝鮮半島の国々とさまざまな交流が行われていました。
国際的なつながりの証となる飛鳥と百済の類似性や高松塚古墳壁画の魅力を伝える写真展も開催中です。
よみがえる飛鳥① 西暦644年 ~槻ノ木広場での出会い~
大化の改新の契機となった「乙巳(いっし)の変」(645年)を前に中大兄(なかのおおえの)皇子と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が初めて出会った「槻(つき)の木の広場」。
日本書紀によれば広場は飛鳥寺の西に位置し槻の木(ケヤキ)があり、外国使節らを招いた宴が催されたとされています
2人の出会いは王子の靴が外れ、中臣鎌足がこれを拾い上げた。このことをきっかけに中大兄皇子と中臣鎌足が親しくなったといわれています。
よみがえる飛鳥② 西暦661年 ~熟田津(にぎたつ)での斉明天皇と額田王~
斉明6年(660)、朝鮮半島の百済(くだら)が、新羅(しらぎ)と唐によって侵略され、日本に支援を求めてきました。日本は、この支援要請を受けて軍を出立させました。このとき斉明天皇(さいめいてんのう)、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)、そして額田王(ぬかたのおおきみ)たちもいっしょでした。
「熟田津(にぎたつ)に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」
(意味)
熟田津(にきたつ)で、船を出そうと月を待っていると、いよいよ潮(しお)の流れも良くなってきた。さあ、いまこそ船出するのです。
この歌は九州へ向かう途中、斉明7年(西暦661年)1月、熟田津(にきたつ:今の愛媛県松山市)に滞在し、次の航海のタイミングをはかっていたときの歌です。斉明天皇(さいめいてんのう)の歌とも言われています。なお、背景の写真はイメージです。
よみがえる飛鳥③ ~幢幡(どうばん)、天武天皇・持統天皇~
壬申の乱ののち、律令国家にまい進した日本。その原動力となった天武・持統両天皇を象徴的に表現しましています。
幢幡は元日朝賀で立てられた7本の幡をイメージしてつくりました。
※平安時代の資料によると高さ約9mとされていますが、飛鳥時代の幢幡がどのようなものであったかは不明です。
飛鳥・百済のつながり写真展
国際的なつながりの証となる飛鳥と百済の類似性や高松塚古墳壁画の魅力を伝える写真展も開催中です。日本の中にある百済も紹介。