初公開・後水尾天皇ご宸筆3点【後水尾天皇と聖護院】展 2026年10月10日(土)より開催

株式会社京都春秋のプレスリリース

写真左から、後水尾天皇宸筆「忍」、初公開となる後水尾天皇ご宸筆3点、扁額や掛軸など

 本山修験宗総本山 聖護院門跡 (所在地:京都市左京区聖護院中町15)は、2026年10月10日(土)から12月6日(日)までの金、土、日、祝日に秋の特別公開を開催いたします。

 毎年開催しております宸殿(通常非公開)の公開と合わせ、今年京都で開催される寛永行幸四百年祭の連携事業として【後水尾天皇と聖護院】展を開催いたします。

 寛永3年(1626)、後水尾天皇が徳川将軍に招かれ二条城に行幸されました。

 御所から二条城に向かう大行列は九千人を超え、華々しい宴が開催されるなど、5日間にわたる歴史的な出来事は寛永行幸記などに記されています。

今年の12月、この行幸から四百年の記念の年として京都市内で記念事業が開催されます。その連携事業として特別に【後水尾天皇と聖護院】展を開催することとなりました。

 この特別展では、後水尾天皇が設計に関与したと伝わる書院(重要文化財)、後水尾天皇のご宸筆「忍」のほか、扁額や掛軸なども公開。うち3点は初公開となります。また、後水尾天皇のサロンで育まれた寛永文化のアーティスト・狩野探幽の紀州友ヶ島図や釈迦三尊像も展示。山伏のお寺である聖護院と後水尾天皇の繋がりをご覧いただけます。

後水尾天皇と聖護院の関わりについて

 寛永の頃(1624頃)、聖護院は現在とは別の場所、御所に程近い烏丸上立売(からすまかみたちうり)にありました。

 当時の聖護院宮は、後水尾天皇の異母弟で、後陽成天皇の皇子である第28代門主・道晃法親王でした。道晃法親王は、後水尾天皇が主催する宮中の文化サロンに出入りし、鳳林承章(ほうりんじょうしょう)(鹿苑寺の住持)とも親しく交流していたことが、日記『隔冥記』に記されています。また、『寛永行幸記』には二条城で開かれた宴に他門跡とともに参加していたことが記されています。

 後水尾天皇の第十一皇子で第29代門主である道寛法親王の時代、延宝3年(1675)に京都で大火が起こり、烏丸上立売にあった聖護院も火災に巻き込まれました。翌年の延宝4年(1676)聖護院は現在の場所に再建。この再建の際には、道寛法親王の母であり後水尾天皇の側室 逢春門院(櫛笥隆子)の御殿にあった書院が移築されたと伝わります。この書院は建物そのものが重要文化財に指定されています。

聖護院門跡 山門
後水尾天皇が設計に関与したと伝わる書院(重文)

公開内容について

 通常非公開の宸殿は歴代の宮門跡、御所が火災にあった際の避難先としていた光格天皇が使用されておりました。天皇や宮門跡がお座りになられた上段之間などを公開いたします。また、宸殿内には約180面におよぶ狩野派の金碧障壁画が残されており、秋の特別公開ではこのうち約120面を公開。

 これらの障壁画は狩野永納(狩野山雪の子)と狩野益信(狩野探幽の養子)によって描かれたもので、大玄関から上段之間に至るまで連続して配置されています。花鳥や中国の賢人、故事に基づく物語、雄大な自然などが、緑青や朱を用いた華やかな表現から落ち着いた趣のものまで多彩に描かれ、仮皇居にもなった宮門跡ならではの貴重な文化財となっています。

 【後水尾天皇と聖護院】展では、聖護院に伝わる宝物の中から、後水尾天皇ご宸筆「忍(にん)」の掛軸を展示します。また、通常は上段之間に掲げられている「研覃(けんたん)」の扁額を間近でご覧いただける形で特別に公開。さらに、「釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)」、「止々不須説(ししふしゅせつ)」、古歌色紙「しのぶれど」の寺宝を初公開いたします。

 そのほか、後水尾天皇主催の文化サロンで育まれた「寛永文化」を代表する絵師・狩野探幽の作品も展示いたします。探幽が六十歳の時に描いた<紀州友ヶ島図>は、作者名と年齢が記された初期例として知られ、探幽らしい精緻な描写を随所に見ることができます。

 あわせて展示する<釈迦三尊像>は、中尊の釈迦を上半身のみで表した珍しい構図の作品です。線の表現が重要となる水墨画ならではの緊張感と、綿密に計算された構成を感じさせる作品となっています。

狩野探幽筆 釈迦三尊像 中尊 釈迦
宸殿 上段之間
狩野派の金碧障壁画

書院について

 書院の内部装飾は、後水尾天皇が設計に関与したと伝えられており、現代にも通じる洗練された意匠を備えています。欄間はモダンな意匠を有する点に特色があり、後水尾天皇の美意識を示す要素の一つとなっています。

 また、障壁画が残る二室では、当時としては非常に高価であった南蛮渡来の板ガラスが花頭窓に用いられるなど、意匠面だけでなく建材においても贅沢な工夫が見られます。違い棚周辺の持ち送りには豪華でありながら繊細な透彫が施されていたり、細い柱を用いた優美な構成など、女性的な趣向が随所に取り入れられており、近世宮廷文化の美意識を伝える建築となっています。
 平成30年9月の台風21号により書院も大きな被害を蒙りましたが、令和5年に無事修復を終えました。

貴重な板ガラスが用いられた花頭窓
違い棚背後の壁に透かし彫りの影が写される

聖護院について

 役行者を宗祖とする本山修験宗の総本山。寛治4年(1090)、白河上皇の熊野御幸で護持僧を務めた増誉大僧正に、「聖体護持」から2字をとった聖護院が与えられたことに始まり、日本で最初の修験道の教団となりました。

 宮門跡として第4代静惠法親王(後白河天皇の皇子)以来、明治維新までの37代のうち、25代の門主は皇室より入寺され、代々皇族や摂関家が門主(住職)を務めました。

天明の大火により御所が焼失した際は、光格天皇の仮皇居となったことから「旧仮皇居」として日本で唯一の史跡に登録された格式高い寺院です。

役門正統(えんもんせいとう)である本山修験宗の総本山として、現在も多くの山伏が所属しており、それぞれ全国各地の山中などで修行を行っています。

 また明治維新までは広大な寺領を有しており、寺領の中には聖護院村が存在していました。その中で作られたものが今日の「聖護院だいこん」や「聖護院かぶら」、八ッ橋などとして残っています。

聖護院 秋の特別公開・寛永行幸四百年祭 連携事業【後水尾天皇と聖護院】展 詳細

公開日:令和8年10月10日(土)~12月6日(日)期間の内、金・土・日・祝日、10月21日〜22日

休止日:11月27日(金)〜29日(日)

    ※法務により拝観休止日が発生する可能性有

時 間:10:00~16:00受付終了

内 容:

・大玄関

(狩野派 金碧障壁画)

・使者の間

(狩野派 金碧障壁画)

・宸殿

(役行者坐像/不動明王像/蔵王権現像/三宝荒神像/孔雀明王像/狩野派 金碧障壁画)

・本堂

(本尊 不動明王像(重要文化財)/智証大師坐像(重要文化財)/役行者・前鬼後鬼・大峰八大童子像)

特別展内容:

・書院(重要文化財)(狩野派 金碧障壁画)

・後水尾天皇宸筆「研覃」

・後水尾天皇宸筆「忍」

・後水尾天皇宸筆「釈迦牟尼佛」(初公開)

・後水尾天皇宸筆「止々不須説」(初公開)

・後水尾天皇宸筆 古歌色紙「しのぶれど」(初公開)

・後水尾天皇宸筆 手鑑

・後水尾天皇賛 東福門院作 押絵 柿本人麻呂像

・後水尾天皇賛 道晃法親王筆 西行法師像

・銀製牡丹文透彫経箱

・後西天皇宸筆 紺紙金字 般若心経

・中院通村筆 紺紙金銀字 梵網経

・狩野探幽筆 紀州友ヶ島図

・狩野探幽筆 釈迦三尊像   など

(展示物の内容は変更になる可能性があります)

拝観料:大人800円 中高校生・大学生600円 小学生以下無料(要保護者同伴)

※団体15名以上は700円(旅行会社様 団体料金でのクーポン適用不可)

※10名以上の団体様は事前予約をお願い致します。

(予約先/京都春秋 FAX 075-231-6420)

所在地:本山修験宗総本山 聖護院門跡 〒606-8324 京都市左京区聖護院中町15

(京都市バス:熊野神社前下車約5分)

※来院に関する注意事項等はホームページをご覧ください。

本山修験宗総本山 聖護院門跡

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