徳島市のプレスリリース
慶長5年関ケ原の戦いに勝利した徳川家康は、征夷大将軍に就任し江戸に幕府を開きました。慶長19年・20年の大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし全国支配権を確立。それ以降、天下を二分する戦いはなく江戸時代は戦乱のない時代が続きました。
泰平の江戸時代、殿様たちはどのように暮らしたのでしょうか。天正13年(1585)以来、阿波国を治めた蜂須賀家15代の殿様に焦点をあて、殿様の業績や人となりを探りながら、江戸時代について考えていきます。
企画展「殿様の江戸時代‐蜂須賀家十五代‐」
会 期 令和5年4月15日(土)~6月18日(日) 52日間
会 場 徳島城博物館企画展示室
■記念講演会 「蜂須賀家十五代 とっておきの話」
と き 5月27日(土)13:30~15:00
講 師 根津寿夫(当館館長)
会 場 徳島城博物館講座室
定 員 約50人(当日受付)
■展示解説
と き 4月29日(土)・5月20日(土)・6月11日(日)各日14:00~15:00
講 師 根津寿夫(当館館長)
■館長 プロフィル
【根津寿夫(ねづひさお)】
経 歴 昭和39年(1964)東京都に生まれる。
平成2年(1990)明治大学大学院文学研究科(史学専
攻)博士前期課程修了(文学修士)。
同年、徳島市教育委員会に学芸員として採用される。博物
館建設準備室に配属。
平成4年(1992)徳島城博物館の開館とともに学芸員(歴
史資料担当)となり、展覧会や講座等の企画・運営にあた
る。
平成15~16年国際日本文化研究センター共同研究員。
平成29年、館長就任。
令和4年、市史編さん室長兼務。
専 門 日本近世史・徳島地域史
主要論文 多数
代表的な論考は以下のとおり
「徳島藩蜂須賀家の参勤交代」(『地域社会と権力・生活文化』、徳島地方史研究会、2020年)
「大坂の陣と徳島藩―武威の伝統と藩社会―」(徳島地方史研究会『史窓』47号所収、2017年)
「徳島藩蜂須賀家の「奥」-正室・こども・奥女中-」(徳島地方史研究会『史窓』38号所収、2008年)
ほか
チラシ裏
徳川秀忠感状
大鎧
法螺貝
万延大判金
柳水車図板戸
【徳島市立徳島城博物館】
平成4年10月、徳島藩と藩主蜂須賀家の歴史・美術工芸資料を収集し展示する博物館として開館。徳島城博物館の名称は、蜂須賀家の居館であった徳島城跡地に建設されたことに因む。江戸時代の御殿をイメージした書院造り風の建物。
常設展では、江戸時代末期の安政4年(1857)に建造された徳島藩御召(おめし)鯨(くじら)船(ぶね)千(せん)山(ざん)丸(まる)(国指定重要文化財)や縮尺50分の1の「徳島城御殿復元模型」の他、常設第2展示室「大名のくらしと文化」では、大名蜂須賀家の美術工芸資料を常に鑑賞することができる。1年間に6回の展覧会に加えて、各種イベントを行っている。詳しくは下記へ。
ホームページ:https://www.city.tokushima.tokushima.jp/johaku/
【徳島藩主蜂須賀家】
尾張国海東郡蜂須賀村(愛知県あま市)の豪族。正勝が織田信長、豊臣秀吉に仕え、天正9年(1581)播磨国龍野城主で5万3千石の大名となった。正勝の子、家政も秀吉に仕え、天正13年(1585)の四国攻めの後、阿波国で17万5700石の大名。慶長5年(1600)の関ケ原合戦では、当主家政は隠居、嫡子至鎮が義父徳川家康に従い参陣し、戦後、阿波国の領有を認められた。慶長20年(1615)、大坂の陣の功績により淡路国を与えられた。これにより、蜂須賀家は、阿波・淡路両国25万7千石と四国最大の大名になった。
最後の藩主、14代茂韶(もちあき)は、明治期、外交官・政治家・企業家として活躍し、東京府知事、貴族院議長などを務めた他、渋沢栄一とともに企業の設立に尽力した。