渋沢栄一翁・顕彰能「青淵」制作発表会のご案内

渋沢栄一翁・顕彰能「青淵」制作委員会のプレスリリース

渋沢栄一翁・顕彰能「青淵」制作発表会のご案内
 
 2024年7月3日「日本近代社会の創造者」と言われ、東京商工会議所の前身である東京商法会議所を設立した渋沢栄一翁が新たに発行された一万札の顔となりました。これを記念して、渋沢栄一を主人公にした新作能「青淵」を制作いたします。
 渋沢栄一翁は、1873年に大蔵省を辞した後、一民間人として活動しました。第一国立銀行を拠点に株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れ、また「道徳経済合一説」を説き続け、生涯に約500もの企業に関わり、約600の教育機関・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力しました。世界の動きをいち早く読み取り、それに合わせるように立場を変えて行き、日本を導いて1931年91歳で、人生の拠点となった東京都北区・飛鳥山で、その生涯を閉じました。
 わが国の誇るべき伝統芸能・能楽を通じ、渋沢栄一翁がわが国で成し遂げられたことの歴史的な意義を理解し、広くその精神を普及・啓発することを目的としています。
 渋沢栄一翁ゆかりの地である中央区銀座にある観世能楽堂において、下記のとおり、渋沢栄一翁・顕彰能「青淵」制作発表会を開催いたします。ご多忙の折、恐縮に存じます。是非ご来臨賜わりますようようお願い申し上げます。

 
     日 時 : 令和6年11月11日(月)14時00分より
     会 場 : 二十五世観世左近記念・観世能楽堂
           東京都中央区銀座・GINZASIX地下3階
 
     ご挨拶 :  渋沢栄一翁・顕彰能「青淵」制作委員会 委員長 樺山紘一
           (作者)中村雅之 小田幸子
           (監修)観世清和 シテ方(篤太郎)観世三郎太
 
                     令和6年11月1日
                     渋沢栄一翁・顕彰能「青淵」制作委員会
                           委員長 樺 山 紘 一
 
 
 

「新一万円札」発行を記念 渋沢栄一の新作能 観世宗家・監修、若宗家ら出演。野村萬斎も。 〈企画書〉

 
 
 「日本近代社会の創造者」と言われ、東京商工会議の前身である東京商法会議所を設立した渋沢栄一が、本年7月、新たに発行された一万札の顔となった。これを記念して、渋沢栄一を主人公した新作能「青淵」を制作する。「青淵」は、渋沢の雅号。渋沢が、終生,信条としていた「論語と算盤」をテーマとして、世界の繁栄と人々の幸せを祈る。                         
 令和7(2025)秋に、東京商法会議所を始めとする渋沢ゆかりの地である中央区銀座にある観世能楽堂および渋沢の邸宅があった東京都北区・飛鳥山公園では薪能として上演する。その後、生誕の地・埼玉県深谷市など、全国のゆかりの地で、数年を掛け再演する。
 650年以前、能を大成した観阿弥・世阿弥の流れを受け継ぐ観世宗家・観世清和が監修、嫡男の三郎太がシテ(主役)の「篤太夫(渋沢)」を演じる。狂言に止まらず、演劇・映画・テレビまで幅広く活躍する野村萬斎も狂言監修を行う。                     
 明治12(1879)年、渋沢は、自ら創業した抄紙会社(現在の王子ホールディングス、日本製紙の源流)の工場を見下ろす飛鳥山に、内外の賓客をもてなすために大邸宅を構えた。明治34(1901年)から昭和6(1931)年に亡くなるまでは、日常の生活の場としても使用し、「曖依村荘(あいいそんそう)」と呼ばれた。
 跡地の飛鳥山公園内にある旧渋沢庭園には、大正期に清水組(現在の清水建設)によって建てられ、国の重要文化財にも指定されている「晩香廬(ばんこうろ)」「青淵文庫(せいえんぶんこ)」が、建設当時のままの姿で残っている。庭園の横には、渋沢の業績を現代に伝える渋沢史料館と紙の博物館もある。
飛鳥山公園にある野外舞台「飛鳥舞台」では、平成15(2003)年から、秋に「飛鳥山薪能」が開催されている。
 
     主 催  渋沢栄一翁・顕彰能「青淵」制作委員会
 
     後 援  東京商工会議所(予定)・渋沢栄一記念財団(予定) ほか
 
     渋沢栄一翁・顕彰能「青淵」
     (監修:観世清和 作:中村雅之・小田幸子)
 
     観世能楽堂 公演 (観世能楽堂・GINZA SIX 地下3階)
     日 時:令和7年 9月29日(月)18時00分 開演予定
 
     飛鳥山薪能 公演 (飛鳥山公園内野外舞台)
     日 時:令和7年10月30日(木)18時00分 開演予定
 
 あらすじ               
 「大政奉還」の後、徳川家と共に下った静岡で、株式会社の原型である「商法会所」を立ち上げて成功した篤太夫(シテ)の元に、朝臣(ワキ)が訪れ、江戸に戻り新政府へ出仕するよう命じる。財政的に厳しかった政府は、篤太夫の商才を利用しようと目論んだのだ。
 徳川家への忠義と国家に関われる事への魅力の板挟みになった篤太夫だったが、慶喜(前ツレ)から国のため、民のために尽くすよう諭され、妻(前ツレ)に別れを告げ江戸へ向かう。江戸に着いた篤太夫は、飛鳥山の茶屋・扇屋で、朝臣と酒宴になる。
 女(アイ)たちは、次々と酒を注ぎ、舞を披露する。話が、篤太夫の子だくさんに及ぶと、亭主(アイ)が、子だくさんで一族が繁栄した事で知られる中国の政治家・武将の郭子儀の故事を語り、人間の幸福である「五福」には、子だくさんが入ると説きながら舞う。話を聞いているうちに、篤太夫は、気持ち良くなり寝込む。
 篤太夫の夢の中に、孔子の霊(後ツレ)が現れ、「論語」を説きながら舞う。そこに、教えを広める事を邪魔しようと悪鬼(後ツレ)が現れ論争になるが、孔子に論破され退散する。孔子の霊は、経済は、「経世済民」という言葉が元になっているからも解るように民の為にあると説いて消える。
 夢から覚めた篤太夫は、「論語と算盤」を説きながら、世界の繁栄と人々の幸せを祈りながら舞う。

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